●久保田 信一
(明治大学時代)
託された想いに真摯に応える姿勢=スラッガーマインドは、1936年(昭和11年)5月 創業案内の文面に
野球界の方々からの推薦状をそのまま伝えたことから始まり、
久保田信一が志したこの想いは、
80余年を経た今日においても変わらない「久保田スラッガー」の姿勢として継承されています。
このスラッガーマインドをもって、
豊富な経験と信頼ある協力者とともに、よりよいモノを生み出し続け、
プレイヤーと隣り合わせのパートナーとして在り続けることが「久保田スラッガー」の使命です。
●明治大学野球部(1929年)
練習に耐え、いい技術を吸収し、
環境に適したカラダを作り込むことで、
自信を持って向き合うことができ、
小柄な身体にも関わらず誰にも負けないスタミナを習得した
●第8回 都市対抗野球大会 「全大阪」優勝
優勝に至るまでの激戦を制した「全大阪」の活躍は、
都市対抗野球大会40年史に詳細に記されている。
●1984年(昭和59年)には
「第8回都市対抗野球大会 全国制覇 同窓会」
が大体的に開催され、
優勝以来、五十年ぶりのメンバー再会となった。
●久保田スラッガー 初期ロゴマーク
当時の「久保田運動具店」は“野球人のたまり場”と呼ばれるほど野球人が集い、行き交う場所だった。
阪神タイガースの入団勧誘を断り、チーム編成の協力者として選手と球団との縁結びに貢献していた話など、
アマ球界からプロ関係者とも交流が深く、数々の球界秘話が現代にも語り継がれている。
「久保田運動具店」を経営する傍ら、野球発展のために後進の指導に努め、
日本高等学校野球連盟、大阪府高等学校野球連盟の運営にも携わり、
1962年(昭和37年)、
大阪府高等学校野球連盟選抜チームの監督として韓国へ遠征し
「日韓親善交歓試合」を行う。
20日間に及ぶ在韓遠征において全12試合を行い、
日韓親善の目的を果たす。
1963年(昭和38年)第45回大会まで審判委員として、
その後本部委員として
1968年(昭和43年)第50回全国高等学校野球選手権大会にて
永年大会功労者として表彰を受ける。
選抜高等学校野球大会の選考委員を
第17回大会 1940年(昭和15年)から
第59回大会 1987年(昭和62年)まで努め上げ、野球界の改革・発展に全てを捧げる人生に幕を下ろした。
●大阪タイガース ホーム用
(1958年〜1959年)
●西鉄ライオンズ Gコート
(1960年代)
●西鉄ライオンズ ウェア
(1960年代)
●西鉄ライオンズ ビジター用
(1966年〜1968年)
●南海ホークス
(1959年〜1968年)
●南海ホークス
(1970年〜1971年)
●近鉄バファローズ Gコート
(1960年代)
●近鉄バファローズ ビジター用
(1966年〜1973年)
1968年7月
福岡支店 開店時(中央区渡辺通)
1971年4月
福岡支店 移転(中央区今泉)
1989年11月
福岡支店 移転時(中央区大手門)